一姫ニ太郎

長女K(4才)長男A太(3才)次男U太(4か月)を授かった50代お父さんの日常(2014年6月現在)

数的有利な状況とバランス


数的有利な状況を作ろうなんて事が世間に広まっているなんて勝手に決め付けて。
そういう状況を作る事はありえないこと。
あるいは、そういう状況化になるまで、結果として待つ事になるのだから。
点が入らない、もっと言うとシュートを打てないんだと、妄想話をしてみる。



数的有利な状況。
亜細亜ではほとんどのチームがドン引きで来る。
よって常に敵陣では数的不利な状況で攻めなくてはならない。

W杯において。
常連国もドン引きとは言わないけれど。
低く守って、攻めさせておいて。
と言うよりボールを持たせておいて。
不用意なパスミスの間隙を縫う。
日本はパスを志向して蹴球をするが、ミスを狙えば効率的だ。
バレバレ、もうわかっていると思うのです。
フランス大会のアルゼンチン戦、クロアチア戦多分そう。



で、そういう事とは対象外の国は。
多分、格上ライバル韓国と、王者伯剌西爾だけではないのかなあ。
そして、亜細亜の蹴球好きの国民性を持つ国だけだろう。
そういう国があるのかなんて想いもあるのだけれど。
もしかして自分の国の代表ではなく、日本代表を追いかけるような人がいる国。
これは、恐ろしいほどの妄想でありますが。



もう一度、数的有利と言う状況。。
それは今までの内容が意味をなさない事になりますが。
GKがいる限り必ず1対1が成立してしまうと言う事で。
数的有利は、いかにゴールポジションからGKをおびき出して。
無人にするかという試みしかありえない。
此処までくると妄想もほとんど意味を成さない気もしますが。


数的有利な状況を作る事に苦心して。
数的有利な状況が作れなければ。
逆に言うと攻撃できない、受身の状況と考えて。
チャンスだとは思えないという精神構造となるので。
シュートが打てない、枠にいかない事になり。
ゴール前で数有利な状況を求めて。
シュートではなくパスを選択するなんて事が起こるのではないか。


90分数的有利な状況を作る事もありえない。
本当にあらゆる意味で、妄想でも仕組み上でも亜細亜でもW杯においても。


で、W杯前のあの独逸戦は。
奇跡的に数的有利な状況を作れた試合なんだと勝手に思い起こして。
そういう試合は、ものすげえ事になるのは当たり前なんだなあと。



じゃあ、どうすればよいのか。
数的有利な状況を作れはしない。


おいおい自分ながら呆れた結論なんですけれど。
数的なものを無力にする事ができればよいんだと。


もしかしてこれは絶対でき無いと思うからこそ。
数的有利な状況と言う言葉が出てきたのかもしれないのだけれどね。
で、ロナウジーニョのようにDF3人を軽く抜くプレーなんて事を。
望んでいるわけでもないんですけれど。


数的有利を求めていくと。
攻撃の形が硬直していくのではないかなあ。
数的有利を求めなければ、シュートは枠にいくようになるのではないか。
今までよりはと言う事で。





数的有利と言う事と、バランスと言う事も関連してきそう。
バランスをとる事ばかりに神経が行ってしまっていて。
バランスを崩さなければならない時があることがわからないのではないか。。
多分、バランスを崩さなければ、数的なものを無にする事ができない。
バランスを整える事とバランスを崩す事。
その両方で蹴球が成り立っているとしたら。
日本は極端にバランスを崩す事を恐れてきたんだと思う。
日韓大会のトルコ戦はそうだったとおもうし。
独逸大会もそういう感じがする。
数的有利というバランスを保つ事を求められているのなら。
それもまたきついでしょう。

敢て数的有利と書きましたが数的優位が正しいのかもしれない。
けれど数的優位だとなにか妄想が膨らみそうに無いので有利としてみました。
って、その言葉の違いの厳密さを感じているわけでもないのだけれど。



組織と個以外のキーワードは数的有利じゃなくバランスだろうなあ。
バランスをいかに取るかでは無く。
いつバランスを崩すか、いかに崩すか、どう崩すか、どこで崩すか。






ああ、思いつき妄想話はまるで見当違いになる可能性があるのですけれど。
書きながら、どんどん思いついた事を書き込んでいく事は楽しい。
はっきり言うと、言葉遊びになっているなあ。