一姫ニ太郎

長女K(4才)長男A太(3才)次男U太(4か月)を授かった50代お父さんの日常(2014年6月現在)

アマとプロ


日本においてのプロ野球とアマ野球の関係は。
トップアマの一部のエリートがプロに進む道筋ができている。
それが当たり前になっているけれど。
これは実は日本においては特殊なのだろう。
でも道筋ができているのだけれど。
アマとプロは同じ世界を見てきてはいない、だいぶ歩み寄りはしてきているようですが。


今の時代において。
プロはエリートではなくてアマチュアがエリートとなると思う。
厳密な意味でエリートをどう定義するかということが問題になるかもしれませんが。
いつものようにそういう所はさっと通り過ぎる事にします。



格闘技おいて柔道なり、アマレス出身者がエリートと称される。
金メダルを取ってトップアスリートの世界から引退して。
プロ格闘技の世界に降りてくる、転向するそういう所をイメージして書いているのですが。
フィギアスケートの世界のプロとアマもそうかなあ。



アマといっても実質プロの世界なんだと思うのですが。
ただし日常的な戦いの場がないのか、少ないといえるのでしょう。
国内市場があるかどうか。
若しくは世界市場があるから国内市場を築けるかどうかって考えるのかなあ。
日常の小さい戦いにおいて観客を集められると考えていないのだろうか、あきらめているのだろうか。


だから4年に1度の五輪にすべてをかけるそういう非日常の世界に生きることとなる。
これが求道的なイメージとなりうるのかなあ。
4年に一度の感動とその求道的なイメージで人生を生きる。
それって非日常に生きることであるから、楽な生活とはいえないだろうなあ。




蹴球には五輪とW杯と二つの大きな世界的な戦いがあるけれど。
このほうが特殊なスポーツだといえるだろう。
世界的な広がりを持つスポーツのほうは少なくないといえるのだから。
しかも五輪とw杯以外にも。
いやいや、大陸一番を決める欧州と南米のカップ戦もある。アジアのもアフリカにも。


これだけ大きな世界大会があると。
一部のトップアスリートだけの競技者だけでは成りたたない。
どんどん新規競技者が出てこないと。
そういうことで閉じた世界を形成しないのが蹴球なのだろう。
一部のトップアスリートだけに競技を独占させないという概念の中で。
プロとアマが混在していくことなる。



われらが日本代表が韓国はおろかたの国々にも勝てないでいるときに。
W杯は私の憧れでもあり全てでもありました。
そう蹴球は日本国民においても非日常いや無日常であったと思う。
そして私はその非日常の世界に没頭していたのであります。


でもそこにJリーグができて札幌に蹴球プロ球団ができたときに。
日常と非日常が点ではなく線で繋がった。
いやいや、正確に言うとまだ繋がっているわけではない。
J2でわが赤黒選手がW杯に出たわけでもないのだから。

アマがあってトップアマがいてそしてプロがある。
そういうまっすぐな道筋ができたこと。
これがJができた最大の事なのかも知れないなあって思う。
4年に一度だけ馬鹿大騒ぎしなくとも良いという関係性を好きなスポーツで持てる幸福感というか。
いやいや、もっと大大お祭り騒ぎができうるのかもしれませんが。




ああ、前段としてアマとプロの定義をきちんとしなくてはいけなかったかなあ。
世界市場と国内市場のどちらでも生きていける競技者が日常的にも非日常的にもプロといえるのでしょう。
世界市場で生きていけるメダリストはプロでも非日常なプロでしょうか。
ただし国内市場がなければ、日常的なプロといえなくてアマとなりうるのかなあ。
国内市場があるプロは相撲とプロ野球
プロ野球に世界市場ができうるかどうかは今回の試みなのでしょう。
所属チームを優先しているメジャーの松井等々。
どう見ても所属チームよりW杯を優先しているように思われる欧州組蹴球選手もいるなあって。
勝手に思います。




蹴球選手でいえば。
W杯だけで活躍する選手は非日常的蹴球選手のような気がいたします。
所属チームで活躍してくれよって思います。