1970の伯剌西爾
NHKBSの歴史を変えたw杯から。
70年と74年のW杯大会はNHKで放送されていたのかなあ。
ということで今日は貴重なVTRを見てしまいました。
休日の土曜日にぐずぐず冬眠していて良いこともあるものです。
78年のアルゼンチン大会はアルゼンチンサポーターの花吹雪の記憶があります。
ただし、問題はNHKで深夜(たぶん)に生で見ていたのか。
後に三菱ダイヤモンドサッカーで2週に分けてみたのかどうかが定かでないのです。
私のW杯のアイドルはジーコだと思っていたのですが。
アルゼンチンのケンペスだったことを思い出しました。
ペレの身体能力のすごいこと。
ただ、70年のペレは囮となっていたというのも初めて知りました。
これが後年の日本の司令塔に影響を与えたのかなあなんて妄想をしていました。
ペレは試合数=ゴール数という風に記憶していたので。
ジーコにしてもバッジオにしてもあの翼君にしてもゴール数は多い。
ファンタジスタや司令塔というのは他人をという認識はたぶん違うはず。
日本の中盤の選手は得点数は少ない。
得点の取れる森島や藤田や山瀬は日本代表とはどちらかというと。。。だから。
1970の伯剌西爾が個と組織とが合体したチームだったとは知らなかった。
その流れから74年の西独逸と和蘭ということになるのですね。
伯剌西爾が攻撃的な蹴球と高らかに標榜するのはうなずけるのだけれど。
日本もそういう攻撃的な蹴球を好むのはほんとうの所どうなんだろうかって思う。
部外者が伊太利亜が攻撃的にいけば面白いのにというのとは違うのかも。
相手チームの守備のほのぼのさはあるけれど。
伯剌西爾選手のボールを持つ技術とボールを蹴る技術は素晴らしい。
日本は個が劣っているから組織的にいくのだけれど攻撃的にという。
小野にしてもボールを一人で持たせたら世界一かもしれないなんて妄想してみる。
日本の選手もうまくなった。ただし敵が接触していないときのこと。
もっというなら。
一人一人ではうまいのだけれど。
1+1=2以上にならないような気がする。それが日本の最大の弱点だと思う。
もしかして1+1が1にもならないことが多いと思う。
組織を重んじているというのに。
ロナウジーニョ+誰か=2にも3にもいや∞になるそうな気がするというのに。
中村+小野、中村+中田英は2にはなっていたのかな。
でも潜在能力からくる期待感からは程遠い。
小野と中田英はまだきちんと見たことがあまりないし。
今回のw杯は小野と中村と中田英の共存の最初で最後になるはず。
3以上の無限大を見てみたい。
70年の伯剌西爾が数年がかりでの蓄積があったチームだったというのも意外でしたが。
選手を固定して数年がかりという意味ではジーコは自分の82年と70年を参考にしているのですかね。
それにしてはやはり1+1の数式が成り立っていないように思える。
個が劣るから組織的といいながら。
個と組織を敵対しさせて。
個を持ち上げている。
一人でやっていたと思われているマラドーナだって。
マラドーナを生かす組織が存在していたはず。
速さや高さや力の絶対値が存在していない蹴球において一人の技術はどれほどのものだろう。
個人に注目してばかりいる私が言うことでないかなあ。
そういう中での今回のw杯は1+1+1=3以上∞以上になるかならないか。
で日本代表の蹴球の将来が変わるようなそんな予感。
23時から1974年の西独逸大会の放送がある。
私は蹴球において個人を見たいのでもなく組織を見たいのでもなく。
イニシャルDにおける公道最速理論によれば。
直線で速いだけでは駄目で、コーナーで速いだけでも駄目で。
そのつなぎで速いことこそ一流なんてわけのわからないことで締めくくります。
才能と才能は呼び合うはずで。
そして共に高めあっていく姿を見てみたい、ただそれだけなんですが。