一姫ニ太郎

長女K(4才)長男A太(3才)次男U太(4か月)を授かった50代お父さんの日常(2014年6月現在)

The History of kirin Cup


ナンバー628号別冊付録から。
ふむふむ、ジャパンカップといってたよなあ。
いえいえ競馬ではないですが。

三菱ダイヤモンドサッカーで見るだけだった奥寺康彦が来日するというのが。
お題目の大会だった、でもTV中継はあったかなあ。
日本代表のユニフォームの変遷も歴史を感じるし。
赤だったときもあったなあ。

『もう善戦といわれる時代はおわったでしょ』という言葉は加藤久さん。
奥寺さんに尾崎加寿夫三浦カズの凱旋から時代の空気が変わってきた。
トヨタカップで来日するようなスーパースターが日本代表と対戦したり。


五輪もましてW杯も亜細亜の壁を越えられないとき。
唯一世界との戦いを演じられる場を作ってくれた麒麟に乾杯。


戦国大名の全てが日本国統一を目指したり京を目指していたなんて。
嘘だと思う。
目指す志を持っていたのが織田信長ほか数名で。
武田信玄上杉謙信もそんなものを目指していたのではないと思う。
そして成功したのが唯一織田信長だけだった。(妄想)


日本代表がw杯を本気で目指していて悲願念願なんて時代はドーハから。
だからこそ、麒麟杯の役割は大きかった。


今は逆になったのですね。
日本以外の参加国の方がモチベーションが高いと大会になったという事で。

でだからどうなんだということを語らないといけないのだけれど。
なんにもないんだなあ、これが。