一姫ニ太郎

長女K(4才)長男A太(3才)次男U太(4か月)を授かった50代お父さんの日常(2014年6月現在)

いまさらの厚別開幕戦 水戸戦

朝7時前には厚別にいましたが。
ある年に買った室蘭御用達の赤黒仕様のコートが5月になってまで。
役に立つとは思えませんでした、元は取ったかなあ。



まあ、待っている間よりも競技場内のほうがもっと寒いのはやはり厚別です。
いつもの場所に荷物を置いてアウエーゴール裏に向かいますが。
ホームゴール裏の風の強さは歴史上最強だったのではないかな。



ところがアウエーゴール裏に行くと全然風が無いのだから不思議です。
同じ厚別にいながら、此処まで体感温度が違うのだから。



ということで、厚別競技場に同じ時間を共有しながらも。
感じることが変わってくるのだろうなあ。
どれが正しいとか言うことではなくて、全てを見渡す神の視点を持つことは。
誰にもできないという事でしょう。


試合があったのは14日なのに此処まで時間が経過してしまったのは。
いろんな事がありすぎて、そしていろんな想いが錯綜してしまったから。


さてさて、どこから振り絞っていけば良いものか。
という前に、この水戸戦を厚別で見たお方々の文章を読み漁って。
自分達の行動を理解した部分もあるのです。

競技場外で待っていると。
『急告』という文章を渡されて。
HFCからの『ご来場の皆様へ』を入り口で渡されて。
石水会長の挨拶があって。
ゴール裏の住人が試合前に空席を作るため一度退席して。
試合後ヤンツーさんのマイクパフォーマンスがあって。
聖地厚別開幕戦勝利を飾ったのに大脱走が無かったこととか。


この一つ一つについて書き出したら止まらないかしれないけれど。



ゴール裏ウルトラスの真横少々上の右側に陣取っている僕らですが。
急告の中身については、その文章を見て初めて知った次第。
だから、ゴール裏にいるからといって自発的に何かをやろうとか。
そういう参画意識を持ってきているわけではない。
私は、ゴール裏に来ているだけ。
歌って跳ねて拳を突き上げるだけ。


こういうことを考え調整して実現させようとしている人たちとは。
全然意識が違う。

競技場で待っていて開場の前に。
この紙を渡されて読んで。
この企画立案者達からの説明があった。
聞こえる範囲毎に数回に分けていたようだ。


HFCへの批判のためのものではないという事を。
俺達には札幌というクラブしかないことを。


流暢な言葉ではなかった。
いろんな想いを抱えながら、その全てを表現する言葉を持たないことに。
もどかしさを感じさせながらもその想いの何かを吐き出しながら。
強制ではないこともきちんと説明していた。


僕は横の相棒に参加するか聞いた。その何かに反応したようだ。
即座に彼は参加すると答えて私の腹も同じだった。



そして入場した。
風から避難するためにアウエーゴール裏に避難して時間を潰す。
あつあつの(?)のうどんかそばを食べたかったのだけれど。
行列ができていたので諦めた。



マッチディプログラムの中身でいつも最初に見る所は。
スタジアム限定のプレゼント、大当たりの押印がされているどうかですが。
まあ、一度もあたったことは無いので期待はしていないのだけれど。
今回の場合はその上のオフィシャルパートナーの所に目がいった。
札幌セミナーの文字は無かった。

いま横浜FC戦のマッチディプログラムを見ているのだけれど。
JR北海道アディダスジャパンの間に札幌セミナーの文字がある。


でも水戸戦のにはJR北海道の横はアディダスジャパンであって。
その横には空間があるのみ。
『ご来場の皆様へ』にはHFCの社員の手書きの文章が。
突貫工事だったのではないでしょうか。

ヤンツーさんも背広だったようだし。



マッチディプログラムには本日のタイムスケジュールがあって。
コンサドールズのパフォーマンスが13時10分となっていますが。
場内アナウンスがあって、時間を早めると。


で、アウエードールズの踊りに遅れる人多数。
まあ、6千人強の観客しか入らなかったこともありますが。
アウエードールズの応援人数も近来稀に見る少なさだったなあ。
その応援が始まるのを合図に僕らはホームゴール裏に戻ります。


タイムスケジュールの変更の理由は。
石水元会長の試合前の挨拶にありました。
ピッチ中央にて辞任の報告がありました。


で、試合前の選手のコールをして。
僕らはゴール裏を後にします。
厚別で、外のトイレに行くのに競技場を出た時には。
半券、シーズンチケットを係員に再入場時には見せなければならないのだけれど。
その必要はないという事は前の説明でありました。
HFCなり競技場へこの企画の説明を行ってたのでしょう。
その点をきちんと評価しなければならないと思う。
この企画者の想いの全てが競技場の全てに伝わらなかったとしても。



競技場の外に出ると。
ロープできちんと囲いができていたし。
TVカメラも来ていたようです。


そして普段は試合終了後にしか開かないシャッターも開き始め。
競技場内の残っている人たちもなにが起こっているのか。
我々を覗きにきます。

この段階の前でロープ内にはかなりの人数が集まったようだけれど。
私自身、ゴール裏の人間がどれだけ空席を作るために参加したか。
全然把握していません。できるわけも無く。
そして企画立案者もどれだけの人数が集まるどうか半信半疑だったのかも。
なにか予想より多くの人たちが集まったようでした。



この空席の写真を見てみると荷物だけあって結構、間抜けに見えたのかなあ。
他の席からも何が起こったのかわからなかったとしても仕方が無いでしょう。
ゴール裏の企画は今までもいろいろあったけれど。
参加している私自身、何が起こっているかいつも良く理解していないこともある。
すげえ事もしていてああ、あれに参加していたんだと思ったこともあったよね。



で、もう一度俺達には札幌しかないんだという声を聞きながら。
開いたシャッターから再入場をしたわけです。
高らかにというほどでもないけれど歌いながら。


試合に関しては、いきなりあっけなく点が入って。
それがオウンゴールだと誰とも無く囁きだして。




でも、それだけでなくて良かったなあ。
上里から中山への繋がるボールの動きとシュートの瞬間には。
私は文字通り爆発していました。


勝てて良かったなあ。
負けたらどうなっていたのだろうと。
いくら跳ねても声出しても2点差で勝っているというのに。
体が全然温まらないのもはじめてだった。
勿論点が入った時は大喜びだった。
1点目はかなり遅れたけれど。



普段私の前とか、右側の人たちは声を出しても跳ぶ人たちは。
ほとんどか皆無といっていいのに今日は違っていた。



試合終了はあっけなくきた。
大脱走をやる気配も無かったのは。
試合に勝って嬉しかったというより、ほっとしたというのが近いのかも。
で、ほっとしたのもつかのま、当たりに寒さと現実が差し迫ったのかな。
マイナスが0に戻っただけということ。
でも、小さな一歩だけど重要な瀬戸際の一歩。
これ以上下がれない一歩だったと思う。
これからもこの気持ちを忘れないでいこう。



それだけにヤンツーさんのマイクパフォーマンスがあったことが。
救われたというか嬉しかったというか。
そういう空気を読むことが上手い監督なんだなあ。


いつもと帰り道が違っていたので。
たまたまなれど、石水元会長が車で競技場を離れる場面に遭遇しました。



そっから、あるところでささやかな祝勝会を開いたので。
この試合のTVでの映像をまるきし見ていません。



この強風の中なので。
林のプレーはどうかなんて軽々しくいえないかもしれないけれど。
ボールをキャッチできない場面が続いたので少々不安でした。
その間に失点をしなかったのでこれも才能の一つかもしれませんね。


後半出てきていきなりシュートを打って石井。
コールの合いの手に謙伍と黄色い声が入るのは久しぶりの感覚。
コータにもそういうものが入っていたかな。



水戸サポに黄門様一行のご光臨は無かったようですね、これは本当に残念でした。