一姫ニ太郎

長女K(4才)長男A太(3才)次男U太(4か月)を授かった50代お父さんの日常(2014年6月現在)

日米野球の思い出


というより、読売巨人軍メジャーリーグの戦いのような。
そんな時代もありましたね。
日テレ主催の興行というイメージがあって。
日本一でもないのに、巨人軍はしゃしゃり出てと言うイメージだったかな。


今は無い後楽園球場で王貞治がトム・シーバーからホームラン。
ライトスタンド最前列に叩き込んだもので。
トム・シーバーが向こうの球場ならライトフライだといったなんて。
事をかすかに覚えている。



やっと球場の規格は同一となったのですね。
後楽園のライトまでの距離、公称90メートル(実質87メートル)なんて。
事も聞いたこともあるのだから。


いかに、ボールが飛ばないか。
いや飛ぶボールを使っているか。
それを世界同一規格にあわせれば、はっきりするだろうに。




ハンク・アーロン王貞治ホームラン競争日米野球だったかなあ。
アーロンが勝ったのだけれど、最後の打球はファールだったとか。
左腕のカールトンとかナックルのフィル・ニークロもきたなあ。
ピート・ローズもきたはず。


でも、一番の衝撃は。
選手名は覚えていないのだけれど。
ある年にきた捕手で、文字通り座ったまま、いや地面に足をつけたまま。
そこからまるで動かずに矢のような送球をしてことごとく盗塁を阻止した選手。


でも、少々違うかも知れないけれど。
ヤクルトの古田は似たような送球を今行っているような。
今日見た赤星がほとんどフリー状態での盗塁を見ていると。
日進月歩で進化しているのかも知れないと思えて。


松坂の好投は快挙ではあるけれど。
古くは村山(さすがに見ていないが)とか。
ロッテの村田に阪急の山田なり江夏なり、その当時からエース級なら。
メジャーでも10勝出来うるといわれたんで、それほど驚きはしないかな。


昔は日米大学野球も全試合放送していましたが。
あの時代は、大学野球でも米国に勝つことは、奇跡に近かった。
引退したマグワイアが日米大学野球で来日していたはず。
後に西武に行った松沼弟が完封したり江川が滅多打ちにあったり。
日ハムに行った左腕河野博文がやせ細ってエンピツのようなマグワイアから。
三振を取っていたようなそんな記憶もあるかな。

あのホームラン記録の時のあの体格を見て同じ選手とは思えなんだ。


江川より速かったハワイ大のタツノは3Aにもいけなかったはず。
隔世の感があるなあ。
で、江川は九州に行くのは拒否でハワイ大(?)に留学して。
米国の選手として日米野球に出ていたと頭の記憶に残っているのですが。
確かではないなあ。