一姫ニ太郎

長女K(4才)長男A太(3才)次男U太(4か月)を授かった50代お父さんの日常(2014年6月現在)

いつかどこかで


いまや、サッカー雑誌は百花繚乱状態で。
何を読んでいいのか分らん状態でありますが。
いまや、私が定期購読しているのは「季刊サッカー批評」という。
非常にマイナーな雑誌のみになりました。

ああ、「月刊コンサドーレ」は読む所はほとんどないですが。
とりあえず毎号買っております。
この雑誌が札幌においてコンビニに置かれなくなったときには。
多分,コンサドーレ札幌の消滅のときでしょう。

「季刊サッカー批評」は。
コンビニには絶対に売ってないし、本屋でかなりの確率で置いていません。
そして,置いてある所もかなり分りにくいです。
探すのは大変でしょう。

そして,凄く読みにくいのですねえ。
カラーの写真の上に文章を載せるのだから。
そして文字の色と写真の色を同色にしてみたり。
多分、編集者はわざと読みにくくしているのだなあと。
かんぐる始末です。
そういう部分はかなり不評だったのでしょう。
新刊はそういう部分は無くなりました。

岡ちゃんの若かりし頃の写真と。
コンサドーレ札幌の8年間の歴史の考察が載っておりますから。
何気に本屋で見つけて立ち読みしてみるのもいいですよ。
非常に立ち読みしにくい雑誌ではありますが。
まあ、この雑誌を買う人がいるのかなあと思う今日この頃です。

で、今日の話題は「Number」から。
実はナンバーは創刊号から200号程度まで揃えていたのですねえ。
引越しの多さに辟易して捨ててしまったのはもったいなかったなあと。
今は思うわけですが。
スポーツの情報に飢えていた私は。
サッカーに限らず、テニス、ラグビー、アメフト、競馬に野球。
そして、批判もあったオリンピックに出るイケ面女性選手特集とか。
全ての情報をここから得ていたわけですが。
いつのまにか、立ち読みだけになってしまいました。

いまや、「SPORT YEAR」のほうが読み応えがあるなあと。
たまに買っているのがこちらの方です。
不思議と、「マガジン」と「ダイジェスト」は買わないなあ。
毎年出るJ1とJ2の選手名鑑のときだけだなあ。

で、本題。
サッカーライターとして。
一番の有名どころは金子達仁氏でしょう。
今の立ち位置は、
そのノンフェクションサッカーライターの草分けとして限定されるのを。
拒否しているようにも思えます。

彼の登場でサッカーライターのジャンルが確立したのに。
選手との関係が密接になりすぎて、立ち往生してしまったという所かなあ。

で、高田延彦の本を出したりしていますが。読み気はありませんね。

金子達仁のナンバーの「いつかどこかで」というコラムを読んで。
共感し、類推しそして違うなあと思ったところが久しぶりにありました。
彼の柔道王国日本を取り上げたときのコラムは秀逸ですが。
あとはとりあえず、斜め読みという所でした。


Jリーグが物心がつく前から存在していたわけではないので。
理屈抜きに楽しめないという所が私とは違う部分です。

確かに、W杯も実業団も天皇杯も日本代表も見てきたわけですが。
応援するチームはほとんど緒戦で負けていくわけで。
途中で応援するチームを探す情況になってしまう。
高校野球で北海道のチームは負けて、
他の県のチームの中で、共鳴するチームを見つけるのと同じ事ですね。

それが劇的に変わったのは。
96年のコンサドーレ札幌が出来てから。
生で競技場で継続して応援するチームが初めてできたのだから。
私は金子氏と違ってのめり込みました。
それと、相反して日本代表の対しては、
アンエモーショナルに対応するようになったと思います。

100年に一度のドラマとなったあの11月29日。
100年に一度と形容したのは金子氏です。
サッカー関して、30年以上見てきた彼がそう評したのは間違いようのない事でしょう。
その彼が壊れたようです。
Jリーグを見て初めて心の奥まで踏み込まれたと。

数分のうちにJリーグの栄冠が3チームに渡り歩いたのですから当然ですが。
で、この部分が私と違う所。
確かに、あの久保のシュートには鳥肌が立ちました。
スポーツニュースの1場面でしか見なかったとしても。

ただ、私は当事者ではなかったという事。
磐田サポでも鹿島サポでも横浜Fマリノスサポでもなかったという事から。
思い入れを持つことは,もう出来なかったという所。
その当事者として存在する事を許されていたのなら。
私も多分確実に壊れていたでしょうが。

おりしも、トヨタカップが行われましたが。
ビデオにとってまだ見ていません。

東京にいた頃は数回見にいったトヨタカップ
必ず大挙してくる南米のチームのサポの言葉。
TV中継でアナウンサーが中継で言っていたのを思い出します。
こう言う内容だったかなあ。

日本人はクレイジーだと。
南米と欧州のチームの闘いで、何で競技場が満員になるのだと。
当事者でもないし,まったく関係も無いのにと。

その頃の日本は勿論、W杯でも五輪でも世界で戦えなかったわけで。
非常に悔しい思いをした事を忘れる事が出来ません。
応援すべきチームが実質上は存在していない事を。
皮肉られたのだから。

勿論、いまでもトヨタカップには日本のチームは出れないわけですが。
例えば、中田英が凱旋帰国をする可能性もある分けで。

当事者として、理性を超えた本能が壊れる場面を。
当事者として味わえる環境になったのだなあ。

コンサドーレ札幌には共鳴できる事。
他の事象については、当事者ではないので理解できうるけれど。
本能が壊れるまではいかない事。

僕は、金子達仁よりは幸福なのではないかなあと。
勝手に悦に入っているわけですが。

さあ、そろそろトヨタカップのVTRを見なければ。

トヨタカップにテンションをあげてワクワクドキドキしなくとも。
良くなったという事ですね、さんま師匠。