サッカー雑誌
マガジンにダイジェストにナンバーにサッカー批評とサッカー雑誌(?)は数あれど。
正確にいうとナンバーはサッカー雑誌ではないですがね。
このごろ、お買い求めになるどころか、立ち読みさえしなくなりました。
表紙を飾るのは、
中田に小野に稲本に中村と雑誌の中身を連想できうるものばかりだからです。
小野なら、フェイエでのより一層の自分立場の確立。
中田ならパルマのチーム戦術からトップ下というポジションをおかない。
それにより、中田らしさを出せないという個と組織のハザマに伸び悩んでいると。
稲本はアーセナルでの試合に出れなかった環境から,
W杯でのブレイクの勢いのままといった調子ですね。
中村はトルシェへの復讐とイタリアでの復権をかけて。
個人の生き様の浮き沈みをドラマ仕立てに送るのは野球と同じでしょうが。
サッカーは野球ほど個人の調子を図ることが判り易くはありません。
唯一一人の選手の調子やプレーで試合の趨勢が決まることはありません。
あのマラドーナか、Jリーグに限っていえば浦和のエメルソンの
ぐらいのものでしょう。あの中田英でさえJリーグ時代そんなプレーをしていたとは思えませんもの。
一人の選手にのみスポットを当て、サッカーの全てを語ろうとするのは無理があるはなあ。