一姫ニ太郎

長女K(4才)長男A太(3才)次男U太(4か月)を授かった50代お父さんの日常(2014年6月現在)

我慢に辛抱よりも


北海道は雪と寒さにという人間が防げない大自然を持っている北国の一つであります。
冬の間、いろいろなことを我慢し、辛抱しているのです。
だからこそ短い春と夏を待ち焦がれている気持ちは人一倍多いと思うのです。

その道民に向かって発言したのではないのですが、
闘将は我慢という言葉を磐田戦のハーフタイムで発せられたとマスコミ報道で私は観ております。
これは道民の気分を逆なでする発言ではないのでしょうか?。
これ以上我慢をしたくは無い、夢でもあるコンサドーレ札幌に我慢という言葉を聞きたくは無いと。

道民はおとなしいとか、おおらかだとか、のんびりしているとか、あっさりしているとか、
競争することに慣れていないとか。
私のオヤジは元々北海道の人間ではないのでそう子供の頃から聞いて育ちました。
私自身のことでもあるのでしょうが。

冬の間、我慢をしているという気持ちの強い分、実は我慢をするのが苦手だとも思うのです。
ほんとのところ、冬の間我慢をしているのではなく勝てない相手、
自然には逆らわないで通り過ぎるのをただ待っているというのが正しいでしょう。

だから、以外にも開拓者精神というより、官や国におんぶに抱っこ。
東京発の情報にいち早く飛びつく。独自の文化に自信をもてない人種(?)なのかもしれません。
そして、W杯監督の岡田監督、ドーハの悲劇の闘将柱谷監督というメジャーな入れ物に憧れる。
または崇拝してしまう所があると思います。

でもその分、この人はだめだと思ったら見限るのも早いのかなあと。
鈴木宗男氏やロブソン(?)への風当たりを見てそう思います。
柱谷新監督に対してはどうなんでしょうか?。