一姫ニ太郎

長女K(4才)長男A太(3才)次男U太(4か月)を授かった50代お父さんの日常(2014年6月現在)

オリンピックを見ながら思うこと。


今年は、シーズンチケットを買いに丸井に行きませんでした。
毎年バレンタインデーのあたりで丸井のショップに行って、帰りは地下のスイーツコーナーによるのが恒例だったのだけれど。
月1回いければよいかなあ。3月13日はお許しが出たので相棒と行ってきますが。
スープカレーも食べれなくなりそうです。
やせている割におなかが、ぽこって出ていたのですが、そこがスッキリしました。今年の健康診断が楽しみかなあ。




一番に思うことは、自分自身になんの才能もなかったこと。
でもそれって普通に当り前のことなんですよね。
でも、10代のころはそれを認めることが辛かったのか、認めれなかったのか。


才能があって、イチローみたいに自分自身のためにその才能を研ぎ澄ましていく行為。
これって本当に凄いことだと思うのですね。
自分はこれだって決めて、脇目も振らず精進していくなんて行為は、常人にできることではないって思います。


私は国のためにメダルを取るという行為も自分のためにメダルを取るという行為も同様に感じられてしまうのです。
長嶋茂雄さんはプレッシャーに強いと言われたけれど。
ここで打てなければ、負けるなんて思わなかったらしいです。
ここで打って勝って、ヒーローインタビューの場面を想像していたらしい。
なんてメンタリティーは私には信じられない。
そういう場面に立つことさえ、厭で逃げ出してしまうでしょう。


だからこそ、自分探しという行為を20代30代になって続けるなんてことは信じられない。
10代は自分は何者かなんてことをいやでも考えなければならなかったので辛かったなあ。
早く学生を終わりたかった。早く親元を離れたかった。

名前を呼ばれるという行為は辛かったなあとおもいます。
自分がなにもであるかを確認しなければならなかったし、確認されているような気がしたから。


社会に出たら、就職して何年もしたら役職がつく。まあ、大したものではないのだけれど。
会社の歯車の中のある部門の責任者なり副責任者になったりする。その部門の大小はあるだろうけれど。

そうすれば、その役職名で呼ばれることとなります。
そうすると、結構楽なんですよね、これが。
その役職名の記号を演じていけるわけです。まあ、仕事としての辛さはあるのですが、それは別として。

だから、自分のために頑張っているようで、会社のためにというわけではないのだけれど。役職名の記号で頑張ることができるわけです。


でも、プライベートでは名前で呼ばれます。
肉親とか友達とかは、だから、肉親との関係は、独身のうちは結構辛かったなあ。自分の名前で呼ばれることとなるから。


でも、結婚して家族ができて子供が生まれて一変しましたね。
会社以外のプライベートで、名前で呼ばれることが少々減りましたね。
家族や肉親からも記号で呼ばれて、名前で呼ばれることが少なくなるということは、楽なんですね。
父親や夫を演じれば良いのですから。
楽というのは語弊があるかな、自分のために頑張らなくてよいということで。
妻や娘やそういうもののために頑張るほうが、自分のためにがんばるよりも力がわき出る感じがするのです。

だからこそ、自分のために頑張るという行為が凄いと思うのです。



で、プライベートのほうで頑張る源ができて、プログの更新がままならぬようになったのですが。
公のほうでは、まあ、ようは会社で役職を降格して、役職なしになったので、会社では○○さんと名前で呼ばれているんですねえ。
うーん、昨年は激動の一年でした。