キングカズが日本代表を夢に描いてなかったら。
日本代表の歴史そしてJリーグのの歴史そして日本蹴球界の歴史は今と違ったものになっただろうなあ。
カズが伯剌西爾に蹴球留学する事。
Jリーグが立ち上がった事。
そしてFIFAの世界戦略というかアジア戦略いや日本戦略と言うべきか。
アジア枠の拡大。
その全てがプラスに働いて。
あの当時に伯剌西爾に修行に行く事が、月に行くようなものだっただろうし。
そして、クラブチームで立場を確保するようになって。
そのまま、伯剌西爾で選手生活を送っていたら、カズはどういう選手になっただろうか。
あの頃、Jリーグが本当に上手くいくかどうかも眉唾だっただろうし。
ウイングの選手として凄い選手になっていたかもしれない。
カズが40歳なっても現役でいられるのは。
元々ウイングの選手で請われてFWとして得点を取っていたんだと勝手に私が思っていて。
得点に勿論こだわりはあるでしょうが、元々ウイングと言う意識があるのでは。
今日のNHKの番組でも、ウイングと言う言葉が出ていて。
その勝手な想いが合っていたかも知れないなあと一人納得していました。
しかも、今年の横浜FCでは左サイドというポジションらしい。
ウイングというポジションは今は無いということで。
20年ぶりのポジション(?)をどうこなしていくかなんて言葉がとても素敵だ。
夢を持って伯剌西爾へ行き。
そこでの地位を投げ打って、読売に戻ってくる。
その頃の日本代表にはプロはいないから。
最初、奥寺さんもカズも呼ばれはしなかったと思う。
最初伯剌西爾の選手が戸惑うように日本のスピードに不慣れで、フェイントとか。
ボールの持ちすぎに、他の選手と連携が上手くいかなかったなんて。
そういう記事を読んだような、そうでないような。
そういう中で、FWと得点という圧倒的な数字でキングとなっていったけれど。
カズの笑顔は、なんていうか、表現しにくいものだと思うのですね。
明らかに野球の清原さんの豪快な笑いとは違うと。
照れ笑いでもないし、はにかみ笑いでもないし、照れ隠しでもないのだけれど。
颯爽とした笑顔なのかなあ、達観したものでも無いし
キングと言う言葉を否定もしないし肯定もしない。
でのあの笑顔は俺はキングではないけれど、キングを演じてきたんだ。
その事を勿論後悔もしていないし、その事へのプライドもあるというそういう感じ。
だから、J2でもプレーする事をなぜ話題にするのかなあって感じ。
もしかして、自分の好きなプレースタイルでJ1に戻ってきて。
10代20代前半、伯剌西爾人を沸かしたあのプレースタイルをもう一度なんて。
おもっているのではないかなあ。
20年で蹴球は変わって、ウイングとサイドは多分違うのでしょう。
走る距離なんか全然違うのでしょうが。
40歳のカズが伯剌西爾時代の20歳のときのウイングのプレーを目差していたとしたら、なんて久しぶりの妄想話でありました。
このことは中田英さんにも相通ずる所であって。
ペルージャからローマ、パルマの辺りで所属チームに専念していたら。
どうなっていただろうって想いもあるのです。
少なくとも、五輪にもでないでアジア予選も2次予選から。
親善試合には勿論でないという形で20代中盤の選手生活を満喫していたら。
まあ、これも妄想の域を出ないことなれど。