一姫ニ太郎

長女K(4才)長男A太(3才)次男U太(4か月)を授かった50代お父さんの日常(2014年6月現在)

『正直なところ可能性は少ないだろうと分かっていました。』

サッカーマガジン柳下正明 インタビューより。

任期3年目、JI昇格を掲げて『闘』を合言葉に発進した2006年ヤンツー赤黒集団。

やはりなあ、目標としてJ1を掲げてはいたけれど、『闘』と言う文字は『勝』でも『昇』でもなかったと言う事。
意識改革からの土台作りの3年間だったということ。
ここら辺が、20006年当初からのわが赤黒サポ界との意識の乖離を感じます。


天皇杯でのJ1との対戦は、押し込まれ、攻められ続けていく中でのボール奪取からのカウンターと言う攻撃に成らざるを得なかったわけですが。
これは、意図的なものかどうか、結果としてそうならざるを得なかったのか。
または、そうならざるを得なかったとしても、良しとしていたのか。
ここら辺をどう感じていたかが問題だろうなあと思います。

いつぞやの、巨人の江川卓さんが、成績が悪いのに、オールスターで8連続三振を取って期待された後半戦で無残にKOされた記憶を思い出しますが。
この例えが当てはまっているかも問題ですが。

ヤンツーさんの昇格の可能性は少ないだろうと感じていた事は、きちんと咀嚼しておく必要性があると思います。

で、ヤンツーさんが札幌といえばこういう蹴球とスタイルをイメージできうるものを作り上げると言う事を優先してくれた事を私は喜びたいのではありますが。

それが、蹴球不毛の地とも言える北海道において優先順位として正しかったのかどうかと言う事も多分、議論の余地があるでしょうね。

攻撃的な蹴球を面白いと言える素地があるかどうかという事で。
まずは強い、勝つというところが前面に出てこないと興味を持ってもらえない可能性があるということ。

押し込まれて、カウンターのみでも蹴球で結果がでた事を選手自身がどう思っているのか、たとえJ1という強大な戦力を前にしたとしても。
それが、どう来年に続いていくのか思います。

J1では押し込まれて、J2では引き込んでから、ボールを奪取そしてカウンター。その序章のような気もするのだけれど。


ヤンツーさんの闘と言う文字は真に理解できるけれど、活劇蹴球についてはわが赤黒の蹴球だとは言い切れないと残念ながら思うなあ。


最初のお題目がミスを恐れずにパスをつなぐ事を第一にと言う言葉を忘れてはいけないと思う。わがゴール裏は特に。わが赤黒ゴール裏は、ミスに過敏に反応するから。ミスに対してブーイング以上に大きなため息が出てしまう。
選手もミスをしないように無難にプレーしようとするからなあ。
だから、活劇蹴球と言うのに向いていないと勝手に思ってしまう。
泥臭く最終ラインで守るGKのチームだと思うのは私一人だろうなあ。