負けたみたい。
横浜FCに、しかも3点も取られて。
1パーセントの望みもなくなったのかな、無くなっていないのかな。
で、昨年もそうだけど、J2を面白くする事ができないのだなあ。
昇格争いに加われなくとも、その闘いをかき回せるようにならないと。
来年はかき回せるようになりたいな。
そして再来年は昇格争いに加わりたい。
そして再々来年は。。。。。。と言う順序を踏まえる必要があるのかも。
愛媛が柏に勝ち点を上げているようなのにね。
監督の教えを忠実にと言う気持ちが、相反する結果を及ぼしているのだろう。
監督に反逆する、あるいは監督が何もいえない結果を提示する。
ぐらいの選手がいないと勝てないでしょう。
厚別最終戦、TV中継を前半まで見ていたのだけれど。
後半開始と共に、記憶を失い、ソファで爆睡、起きた瞬間に同点という仕打ちを受けました。
代表戦で不覚を演じた事はあるけれど、赤黒の試合での失態にショックを感じています。
蹴球とTVは合わないなあと思う。
私は赤黒の選手の事はわかるけれど、山形の選手の事は良くわからない。
そういう中で、TVを見ていくと、消化不良を起こしてしまう。
そこからいくと、野球はTV的にはわかりやすい。
投手を除いて平等に役割と持ち場を与えられている。
全員バッターボックスに立つし、成績も個人別に出るし。
1番から9番まで、あるいは先発、中継ぎに、押さえ敗戦処理と仕事が分かれてる。
そういう中での蹴球は、FWとMFとDFとGKがいるが。
FWとDFとGK以外はようわからん。
オシム代表になると、もっとわからないだろうなあ。
そこが蹴球の魅力のはずなんだけれど、TVではそこを魅力にできないのだろう。
そこをTV界の人間は感覚的にわかっているんだなって思う。
だから、某TV朝日のアナのように饒舌になる。
あるいは、絶対負けられない戦いがあるなんて言葉を用意する。
そして、絶対君主が存在するように演出する。
それが、監督なのか、司令塔なのか、ファンタジスタなのか。
オシムなのか、ジーコなのか、トルシェなのか、俊輔なのか、中田英なのか小野なのか。そういう存在を作り上げて、上げては降ろす作業に躍起となる。
でもねえ、蹴球において圧倒的な存在なんて、皆無に近い。
ロナウジーニョだって、一人では成立していないでしょ。
マラドーナかペレぐらいではないの。
野球におけるTVでの主役は投手とバッターだと思う。
野球における球場での主役はバッターと野手(守備)だと思う。
いや、もっと言えば、バッターではなく走者と野手が主役ではないかなあと。
TVと球場での目線は違うはず。
イチローや新庄は球場での主役なのは当然だろう。
TVにおける蹴球での目線は、TVカメラに準ずるしかないわけで。
TVにおけるカメラの位置も変遷がある。昔はバックネットから。
今はセンターからと言う風に。
蹴球におけるカメラの位置あるいは台数には検討の余地があるはず。
オシムに全権を与えてと言う動きには反対したいなあ。
能力があるならなおさらのこと。
絶対君主と共和制の戦いの中で。
ヤンは良い絶対君主制と悪い民主制であっても、悪い民主制を選ぶとと考えていたと。
だからこそ、どんな時にも団体の長には収まらなかった。
ある一つの地域の軍団の長としての責任は追いつつも。
民主制の中でラインハルトが圧倒的に選挙で独裁者の地位を得たとしたら。
銀河英雄伝説の世界は、あれほどの死傷者を出さなかったかもしれない。
そういうヤンの思考はあったように思える。
その事を容認できないヤンという内容だったと思えるけれど。
ジーコと言う神は、神として結果を出せなかった。
次の神はオシムという神だ、監督しての能力はジーコを超えるだろう。
だからこそ、独裁者としてどんどん能力を行使して欲しい。
ラインハルトという圧倒的存在に全てをゆだねる。
オシムという存在に日本の蹴球の方向性を委ねる。
親善試合や強化試合の日程等の決定権を委ねる
日本の蹴球の方向性は日本人が決めたいな。
その方向性に沿って監督が選手を試合の戦略を決める。
そういう順番が必要なはず。
ジーコのときと何が変わっているのか、多分何も変わっていない。
教えを乞うのは、オフトから始まってトルシェで終わりでよいだろう。
そういう良い時代はおわったのだと。
これからは自ら考え自らが何かを選び、何に快感を感じるかという事なんだろう。
多分、オシムにまる投げのほうが楽だ、そして結果も業績もついてくるかも。
近道かもしれない道なんだけれども、多分。。。。
日本の蹴球界の中で一番求められているのは、FWでも決定力でも。
そしてフィジカルでも、マリーシアでもなく、指導者だろう。
日本代表の五輪監督やユース監督はJの監督養成場所なのか。
元有名選手がS級をとってJリーグで新人監督をするのはなぜか。
世界を知るドーハ世代の監督の結果が結びついてないように思えるのはなぜか。
もっと言えば、日本の蹴球界のプロの世界においての人材不足感を感じないか。
日本人W杯監督として推挙できる複数の人材いるのか。
アマ蹴球界の指導者の人材との交流はできないのか。
アマ蹴球界のほうが、歴史も分厚い、三顧の礼で迎えるべきではないのか。
なんて偉そうに並べてみたけれど。
この項目をこうだなんだと書き連ねるだけのものは何も無いなあ。