一姫ニ太郎

長女K(4才)長男A太(3才)次男U太(4か月)を授かった50代お父さんの日常(2014年6月現在)

パウダースノー


TV東京系「ガイアの夜明け」より。

札幌にいるとスキーに行きたいなんて思う事もないな。
釧路いた時なんて、富良野まで強行ツアーを会社の同僚と組んだこともあったのに。


で、パウダースノーと言う言葉を聞いたのはいつ誰からだったかと。
年上の従姉妹が学生の冬休みを使ってスキー旅行に来た時だったと思う。
私が小学生のころ。


パウダースノーと言われて何のことか正直わからなかった。
雪が粉のようにさらさらしている事を指しているといわれて。
そのどこに価値があるのかわからなかった。
だって、当たり前のことでしょうと。

そうしたら、スキーをすべる上で最上な雪質だと言われて。
ほう、そんなものかなあと。



北海道のスキー産業は斜陽化している中。
日本人以外の国々の人々がパウダースノーを求めて。
来道されているという番組を見て。
年上の従姉妹の事を思い出しました。



なんとなく感じていることは。
私は札幌オリンピックを感じ取った世代ではあるのだけれど。
ジャンプの笠谷は私のヒーローなのだけれど。


長野オリンピック以降。
北海道のウインタースポーツは衰退しているイメージが。
ウインタースポーツのメッカは長野という感じがしているような。
競技としても、そしてレジャーとしても。
事実かどうか本当かどうかではなくあくまでもイメージなんだけれど。


私の場合、小中と道東だったので。
校庭に先生が水を撒いて400mのリンクを作って。
冬の間、スピードスケートが授業だったのだけれど。
スケート靴を履くときの靴擦れが嫌でしょうがなかった。


で、私の最大の楽しみは、雪の上でする雪上蹴球だった。
夏の間にする蹴球よりも楽しかったなあ。
だって転んでも痛くないし、雪の上だから。
ピッチなんてものがあるわけもなく。
普通のグランドの上で小石で怪我するなんて雪の上では心配ないし。


あるいはリンクの上でするホッケーも楽しかった。
スケート靴の場合もあるし、普通に長靴でする場合もあった。

あるいは、坂を使ってのジャンプ台を作り。
ミニスキーを履いてのジャンプ大会も。


まあどちらにしても本格的なウインタースポーツとは。
縁もなくはない生活だったのですが。
やはり蹴球が一番好きなスポーツだったと言うことには間違いない。



私は蹴球好きで赤黒のチームを応援している身でこういうことを。
いうのは何だけれど。
我が赤黒チームがなくなっても、本当の所北海道ではたいした影響があるとは。
思えないようなそんな気もする。
私自身の生活には甚大な影響があるでしょうが。


で、北海道のウインタースポーツはなんて次に続ける言葉をもてるほどのものを。
私は何も持ってはいないのですが。



このパウダースノーの価値をいちばんわかっているのが。
オーストラリア人の皆さんだと言うことが面白いなあ。
本州から来られた親戚がソフトクリームが食べたいと言われて。
どこが美味しいかなんて全然わからなかった事もついでに思い出しました。