トヨタ杯最終章
さんま師匠の芸ともいえる太鼓もち解説もこれが最後なんでしょうか。
蹴球マガジンのトヨタ杯の歴史をみて。
ああ、ジーコのフラメンゴは2回大会だったのですね。
1回めだと思っていた。
枯れた芝生の合間にプラティニがオフサイド判定に抗議して。
寝転がったシーンも写真として乗せてほしかった。
確かプラティニ一人のお給金で相手チームのお給金の合計を
超えていたはず。
銀河系軍団の原型ですね。
すでに欧州=金持ちという構図はできていた。
それでも対戦成績が五分なのはモチベーションの差でしょうか。
学生時代は4年連続国立に見に行ったのだけれど。
物凄く上のほうで見ていたのでTVの方が良かったなんて。
感想しかもてなかった。
インディペンディエンテの試合なんて。
最初の5分で1点入って終わったもの。
雪中蹴球もあったなあ。
北海道(道東)ではごく当たり前に体育の時間あったりするのですが。
それからACミランとか出てきて。
個と組織が成熟した蹴球が見られる時代になって。
考えたら、W杯以上のものが見れたりしたものです。
W杯では活躍できなかったスーパースターもきていたもの。
国立が満員になるのもトヨタ杯が蹴球では最初でしょうし。
今は当たり前にあるゴール裏なんて概念もなかったでしょうし。
そういうものがあるのすら赤黒のチームができうるまでしらなかったし。
国立から横浜国際に競技場が変わっていたのも知らなかった。
一番注目すべきことは、ピッチの芝生の色がどんどん変わっていることが。
写真でわかることでしょう。
歴史を経るごとに、緑が濃くなっていますからね。