一姫ニ太郎

長女K(4才)長男A太(3才)次男U太(4か月)を授かった50代お父さんの日常(2014年6月現在)

敗者


私がサッカーを見始めて何年経つのだろうか。
まあ、30年以上、いろんなブランクがあったとしても見ているだろう。
それは、敗北者を見続けてきた歴史でもあるのですね。日本代表を筆頭としてです。

コンサドーレ札幌という対象を発見して以来、6年余り、やっと応援でき得るチームを持てた私です。
そして、日本のサッカーの地位も少なからず向上してきました。
代表チームも海外チームと対戦すれば、必ず負けなんてことはありませし。


その中でも、美しい敗北者なんて言葉があるとしたら、
82年大会のジーコ率いるブラジルなんて代表的例でしょう。
サッカーって不思議と良いサッカー(?)をしているチームが負ける、いや、勝てるとは限らない。

サッカーの魅力は、野球、特に長島巨人がよく使った『勝利の方程式』というものが,
成立しにくい所にあると思うのです。スポーツで勝つ続けることはありえません。
でも負け続けることはありえるのですねえ。
そしてコンサドーレ札幌はここ数年、負ける事を許されない戦い方に挑み続けて、敗れ去っています。
常勝巨人と同じことをしなくともいいのになあ。
唯でさえ、戦力的にきついコンサド−レです。行き場のない叫び、咆哮を感じてしまいますね。

未だに、コンサドーレ札幌のサッカーというものが、
こういうサッカーだと見せてもらっていませんね。
いや見せれないのかもしれません。小手先のその場しのぎに終始していると。

私は世間一般で言う所、コンサドーレ札幌のサポーターに属しているのかもしれませんが、
サポーターという言葉には最初から、ピンとはきていません。
だってサッカーって選手のするものでしょう。
観客の熱意で勝敗が左右されるというのは虚構だと思うのですね。
他のスポーツでは、観客の応援がこれほどは取りざたされないでしょう。

私が感ずるドームの閉塞感は、室内という閉ざされた空間だけが原因ではないような気が致します。
それが、ここ数試合、応援にいってない理由のひとつでもあるのかなあ。

折角、300キロ離れたところから、夜行列車で強行日程を組まなくとも、
地下鉄で数十分でいける所にやっと舞戻ってきたのになあ。