一姫ニ太郎

長女K(4才)長男A太(3才)次男U太(4か月)を授かった50代お父さんの日常(2014年6月現在)

もちろん勝った方が嬉しいに決まってますが。


道内初戦の京都戦を控え、心わくわく胸躍る毎日であります。
でも、コンサドーレ札幌は中々上昇気流に乗れないでいます。
私達は何かもどかしさを感じ、
そのいらつく心を新監督や新9番のFWにぶつけて憂さを晴らそうとしています。

サッカーは人間の進化の元となった手を使わない唯一無二のお遊びであります。
本来、うまくいかないもどかしさを併せ持つスポーツでありましょう。
で、サッカーのサポーターという自らも選手と共に戦い抜く観客の存在。
他のスポーツには無い存在であります。
他のスポーツの応援団とサポーターは似て非なるものでありましょうね。
僕はサッカーというスポーツが面白くないからサポーターという種族が生まれたのではないかと、
思っております。
正確に言うと面白くないのではなく、退屈な時間がほとんどなのかなあ。
いやあ、なんていったら良いのか。
ようは点が入らないということです。大の大人22人が1時間半欠けて、
0対0のドローなんて試合もよくあることです。
でもなぜか、J1では中々こういう試合は無いですね。
片方のチームが大量得点を挙げることが多いような。。。
で、いい加減にしろとばかり観客席を立ち上がり、
自らも戦い始めたのがサポーターの発祥なのではと私のまた妄想憶測であります。


で、此処からが本題です。
私のサッカーの見方はサポーターという種族の見方ではないのかもと、日頃常々思ってきたからです。
道内初戦の京都戦を見に行くに当たり、この疑念を確認検証する必要があると思い立ちました。

それは、子供の頃のお話に遡らなければなりません。
日本代表と実業団サッカーと天皇杯の観戦好きの親父と、
静岡県藤枝生まれの高校サッカー好きの母親の長男に生まれた私が、
サッカーをTV観戦していたのは当然の話です。
でも夫婦二人の観戦の仕方は全然違ったのですね。
母親は、それこそ藤枝東または静岡の高校を盲目的に応援するのですね。
私は一緒になって応援していました。このまま素直に育っていればねえ。

親父は、けちをつけ始めるのです。その頃の実業団サッカーはパスが2つと繋がらない、
ただ蹴って走るというサッカーが主だったように覚えています。
すぐにサイドラインを割るボール。親父の愚痴がまた始まるわけです。
日本人はサッカーが下手だ、向いていない、止めてしまえ等々。
見ている私としても気分の良い物ではありません。
たまに反論しようとするのですが、小学生低学年以下の私に勝てるわけもなし。
サッカー好きな母親も親父とは一緒にサッカーを見ようとはしません。
で、親父はもう2度と見るかとたんかを切るわけですが。
やはり、サッカーの中継があると私に声をかけてくるのですね。でまた愚痴が始まるのです。

で、小学生の高学年にもなるとサッカー少年団に入っていた私は、
知識もいっぱしになってきます(と言ってもが知れていますが)。
で、全体としてはたいしたことが無くても、一つや二つ輝くプレーはあるわけで、
それを、見逃すまいかと真剣に見るわけです。それを後生大事に暖めるわけです。
もちろんTVの画面を通じてでしかないのですが。
で、一つ見つけては、親父を黙らせるという行為に挑戦し始めたということです。
到底敵わないものでしたが。

でTVの画面のある個人の局面での動きを30年以上ただ見てきたわけです。
だから未だに3バックとか、4バックということが正直わかりません。
厚別で一緒に見に行く友人が今日の相手は3バックだといわれてもほんとの所は?なのですね。
今は、コンサドーレ関連のサッカー番組を多く、
私より後に札幌を応援し始めた人でも私よりシステム論が詳しい人が多い。
私も嫌いなわけではないのです。
良く見に行くサイトでもものすごくシステムを語る所がありますが、ほんとに面白い。
でもそういう風にはどうしても見れません。
でも、競技場に行くようになって此処の局面だけで無く、
前より広い視野で全体を見れるようになった。とは思いますが、
20年以上培った見方を変えれるはずも無いですね。

で、それはドーハの悲劇の前の、悲劇にも成らなかった全日本の試合で加速することとなります。
韓国になど、一生勝てないと思いました。
韓国どころか、アジアの国々にも勝てないのですから。
情報も少ない、語る相手もいない。その中で、
ほんの些細なワンプレーに喜びを感ずるような体に成ってしまった私です。

で、ゴール裏で札幌を応援しながら、
相手チームの選手のいいプレーにも反応してしまう自分がいるのですねえ。
これってサポーターにあるまじき行為でしょう。
もちろん札幌の選手のプレーにも反応いたしますが。
だから、コールからの逸脱もかなりありますね。
プレーと共にありたい、でも敵味方の区別が無いのです。
題名にあるとおり、勝ったほうが嬉しいに決まってます。
でも、記憶に残るのは勝った負けたではなく、あるシーンの切り取られた部分です。
フラメンゴジーコトヨタカップで見せた、芝生の無い国立で見せたスルーパス
ユベントスプラティニが同じくトヨタカップで見せたシュートのオフサイドの判定に、
抗議の形をみせたあの優雅な姿とか。このときも芝生がなかったなあ。
そこにプラティニは寝そべったのですね。(このシーンはかなり有名ですね)

ソクラテス(ブラジル黄金の中盤の1人)のいたコリンチャンス相手に、
今は中田の太鼓もちと化している解説者の金田さんがフェイントをかけてDFを、
抜いていったシーンなど映像として残っていたらなあ。
いつぞやの厚別での浦和戦、田渕の伝説のあのゴールを忘れるサポーターはいないでしょう。
心の片隅に残るシーンとは勝ち負けの中だけではないと。
負けた試合にも忘れられないシーンとなるプレーはあるはずです。
それを、ネットで語ってほしいなあ。折角、競技場でサッカーを見れるのだから。。。
負け試合の連続と、TV観戦でしかサッカーを見れなかった一サッカーファンの長い愚痴でした。
ほんとに今までで最長だなあ。

もちろんゴール裏での応援も楽しい。勝った時は最高です。
でも、のめりこめない自分がいるのもまた事実です。多分。