一姫ニ太郎

長女K(4才)長男A太(3才)次男U太(4か月)を授かった50代お父さんの日常(2014年6月現在)

決定力?決定力不足?


『決定力不足が勝敗を分けた』『コミュニケーション不足はある』という内容のコメントを。
している闘将ではありますが。
一方『ビジュのコーチングする役割を日本語がしゃべれないからまったく分からない』
という大森という趣旨のコメントも出てきています。
柱谷監督は負けたのはFWの責で。
コミュニケーション不足をビジュの責にするつもりではまさかないでしょう。



一方、決定力不足、あるいは決定力という言葉は便利な言葉であります。
日本代表でも良く使われます。
もうこの言葉一つで、まるで鬼の首を取ったようであります。
が、しかしこの決定力という言葉の内容が私にはどうも良く分かりません。
点を取れない事なのか、シュートを打てないという事なのか。
シュートが枠にいかないという事なのか、チャンスを作れないという事なのか。
シュートをミスするということなのか、シュートに威力がないという事なのか。
シュートを打つタイミングが悪いということなのか。
この言葉一つで、負けたときの枕詞とできるために。
かえって真実が見えてこなくなるのではと。



サッカーの試合をTVで見ていていつも思う事は。
その決定力という言葉の耳障りさで、あります。私だけなのかもしれませんが。
サッカーの試合は基本的にはロースコアです。
点を取ることは奇跡的な事柄の連続性に運も絡みます。
ポストに嫌われたという事は良く使われますよね。
決定力という言葉を使われる度に、
全てのシュートチャンスにゴールできなければならないのかなあと。
やはり意識の奥底にはサッカーは野球と違って点が入らないから、
面白くないという考えがあるのではと。



同じように使わている言葉には野球のテレビ解説につかわれる『結果論』という言葉。
そしてオリンピック等で使われる『プレッシャー』という言葉です。
それぞれに意味も使われる箇所も違いますが、枕言葉的に使われるのは一緒であります。
何も意味のない言葉で全てをひっくるめる事ができます。
そのことによって解説、または中継を拒否していると思います。



フェイエノールトの小野は幸せそうだなあと。
イングランドのプレミアムもそれに近いですが。
あのサポーターはほんとにサッカーが好きなのだなあと、
ニュースの速報を見ていても思います。
あの小野のループシュートに驚きと感嘆の声を上げる応援に。
私達とは違う歴史の重みを感じてしまいます。
プレーの一つ一つに反応する応援、あれは、私もやりたい応援です。
1人1人が自然と息をするように応援しているのだなあと。
しかも、それをあれだけの人数全員でしている、素直にかっこいいと思います。


ぶっちゃた話、新しいスカパーのCMでのスマップの中居のように。
決めてくれーという絶叫はとても理解できるのですねえ。
ほんとに決めてくれよーって思ったことは一度ではありません。
おいおい、今までの日記はなんだったの。