一姫ニ太郎

長女K(4才)長男A太(3才)次男U太(4か月)を授かった50代お父さんの日常(2014年6月現在)

今更ながらの札幌ドーム 鳥栖戦をと思うのだけれどねパート①

前半、西谷さんのスーパーサイヤ人状態を見ていて。
45分間の電池しか持たない西谷さんの後をどうするのだろうと思っていました。
数年前までは砂川さんと西谷さんが一対となって90分間闘っていたのを思い出しながら。
で、先に砂川さんは90分間がんばれる電池を所有するに至りますが。
西谷さんはまだだという認識をしていたので。
砂川さんがいない試合をどう演出するかという事で。
候補としては上里さんしかいないと思いますが。
彼の状態を監督がどう考えているかが分かるなあと。

結論から言うと、後半電池切れの西谷さんをピッチから外す決断を選択しなかった。
あれだけ、普通以下の西谷さんを変える事ができなかった。
試合終了間際にやっと、西谷さんと交換で出てくる上里さん、これば時間稼ぎの交代ですね。


で、此処から試合の事ではなくて妄想を膨らませていきます。
あるところで、解説者で日本代表を務めた加茂さんのコメントと目される言葉を見ました。
上手くて速い選手はいるけれど、そこからがんばれる選手がいない。
1つ目、二つ目をもつ選手はいるけれど、三つ目あるいは、がんばるという事ができない。
高くて強いでもいいのかもしれません、それにがんばれる。
それがあって日本代表に選ぶ事ができると加茂さんは考えていたという事です。
3つ目のがんばれるを持っている選手が90年代においても希少価値だったと言うことでしょう。
セレクタータイプの監督として日本において歴史上最高位の監督だったと私は思っているので。
加茂さん言葉には耳を傾けていきたいと思っています。
20歳の中田英さんを日韓戦に抜擢しチームの中心に据えた事が全てだったと思います。


で、90年代日本代表は2本柱にがんばれる、あるいは3本柱でよかったでしょうが。
2006年の日本代表は、2本柱にがんばれるに。
いつがんばるか、どうがんばるか、試合の空気、機微を読む事が求められたのだと思う。
それがジーコジャパンだったんだと。
で、それをできた選手は誰もいなかった。
中田英さえも、強くてがんばれて、試合の機微を読むまではいけなかった。
いや,詠めていても、他の選手に伝える術をうしなっていたという方が正しいかな。
中田英さんはすでに上手い選手ではなくなっていた。
技術レベルで、他の選手をぐうの音を出せない絶対的王様として君臨する事ができなかった。
彼はトップダウンの選手。その彼の技術が多分、代表選手の中で下位になっていた。
偉そうな事を言って下手だろうって他の選手思われていたのではないか。
中田英は、選手のナイーブさを嘆いていた何度も。
自分より上なのに持てる技術もなぜ披露できないのかなんて。


中村俊輔さんは上手いし、フリーキックがある。でも体調も合ってがんばれない。
まして試合の機微を読むなんてできない。
セルフィッシュな傾向があったからなあ。



これからの日本代表には4つが必要と思っていたらオシムが就任。
まだ、日本人には早かったという事で、がんばるを強調しているのかなあ。

J1の選手は上手くて速くてがんばれる選手のレベルを要求していると思う。
そう3つが必要、90年代の日本代表レベルを。
だから代表をふがいなく感じ、J1の方が面白く感じる人が増えてきたのだと思う。


で、此処からはJ2のレベルはどうなんだ。
そして砂川さんがわが赤黒をJ1に、もしくは,自身がJ1のチームに移籍できなかったかのはなぜか。
あえて、できなかったと書きました。移籍しなかったではなく。


そして上里さんのこの試合の交代の時間の件。
此処からが本題なのに長くしまったので続くという事に。