一姫ニ太郎

長女K(4才)長男A太(3才)次男U太(4か月)を授かった50代お父さんの日常(2014年6月現在)

極東の20年と最北の10年


あの満員の国立での韓国戦、木村和司の伝説のフリーキックから20年あまり。
そしてわが札幌いや北海道に蹴球のプロチームができて10年近く。


代表での苦闘の20年を考えれば、まだ10年足らずなんです。


我が極東の代表も我が最北の赤黒も。
蹴球という遺伝子なりアイデンティティがまるで無かった事では同じで無いかなあ。
あの韓国戦。
あの1プレー以外はまるで歯が立たなかった。
あの試合が終わった後、私が生きている間には韓国に勝てないだろう。
と感じた、でも多分絶望もできなかった。
あの頃、ほんの一握りの人達を除いてW杯出場は悲願でも夢でもなかったと思う。
あの時の真の悲願は韓国に勝つことだった。
まあ、韓国に勝てればW杯出場にも繋がったでしょうが。



その次のW杯亜細亜予選でも後一勝で本選へというリアルな戦いをしていて。
それでもいけなかった。
プロ対大学生+実業団の戦いはもうどうしようも無かった。
そこから、応援する人達も蹴球協会も本気になった。
本気でW杯に出るためには韓国に勝つためには。
そしてJリーグの発足、そこからの発展には紆余曲折はあったけれど。
凄い成長曲線です。
でもそろそろ、その成長曲線にも限りというか。
そう簡単にはいけない壁にぶつかっているという感じに見える。




ドーハで出られなかったのは3位という結果だったからで。
仏大会予選は3位で出場。
日韓大会は予選無しで。
で、なんとなくズルをしてW杯を出ているような気がしていて。
韓国を倒す言う悲願を達成していない気がすると言うか。
いきなり本大会にばかり目が言ってしまっているのが。
なにか、遠くを見つめているような気がしていて。
それが今の予選での戦いに繋がっているような。
予選において亜細亜一位になろうとする事が先決だ思うのですが。




バーチャルな世界で水戸に負けたらしいです。
多分今の紆余曲折の段階にある赤黒のチーム。
20年前の代表チームより遺伝子やアイデンティティの欠片も見えない赤黒チーム。
そう、20年後も語られる1プレーがあった代表チーム。



ということでまだまだ時間がかかりそうというのがわが赤黒チームの存在。
20年後に語れる1プレーを見逃さないようにしようではないか。
それが何になるのかお楽しみという所でしょう。
我が赤黒チームの伝説を語り告げれるのは私達以外には無いのだから。
その私達と言うのは次の試合で10千人を切りそうですが。




何が伝説と言われるでしょうが。
先に書いたとおり、あの韓国戦も。
あの1プレー以外はまるで歯が立たなかった。
コテンパンに負けても。
あの頃の私はあのプレーだけを胸の内にしまって暖めていた。
はあ、そこまで夢も希望も無かったのかという感じもするのだけれどね。