一姫ニ太郎

長女K(4才)長男A太(3才)次男U太(4か月)を授かった50代お父さんの日常(2014年6月現在)

サッカーに触れ合うようになったきっかけ


で、今回はサッカーに触れ合うようになったきっかけというお題で。
ですが、私は生まれながらのボーンサッカーマンなのです。
母親のお腹にいた頃から私のおもちゃはサッカーボールだったのですから。
だから、気づいたときには目の前にサッカーボールがあったという事です。

生まれたばかりのひな鳥は最初に見た動いているものを母親と認識するなんて事を。
聞いたような気もしますから。
私は母親をサッカーボールと良く認識しなかったなあと思う今日この頃。

まあ、サッカーボールを蹴れるようになるまでにはそれ相応の期間が必要だった
のでしょうが。手を使ったり、口を使ったりで、今では考えられない。
スーパープレーの数々を見せていたのでしょうなあ。

サッカー少年団に入りましたから。
そのまま、順調なサッカー人生を送るはずだったのですが。

おりしも、その頃は「エースをねらえ」の全盛の中学時代。
私も、2歳年下の妹からマーガレットをカッサライ貪り読んでいましたが。
アニメでの放送も始まり。中学の軟式テニス部の部員はほんとにもう。
特に女子テニス部は多分100人を超えていたのでしょう。
田舎の中学全校生徒の総数は400名ほど、そうすると女子の半分はテニス部。
なんてありえない光景が。
そうすると、女子の集まる所に男子ありで。。。



ああ、私はサッカー部に入りましたとも。勿論の事。
しかしながら、先輩は二人で、新入生は私一人。
1ヶ月グランドを只走っていました。楽しそうなテニスコートを横目にみながら。

そうこうするうちに、サッカー部の廃部が決まり。
あろうことか、サッカー部員3名が男子テニス部への転部の決定。
先輩同士、仲が良かったのでしょうか。いずれにしても私に決定権はなし。

まあ、ただ、グランドを走る毎日よりは楽しかったので。
そのまま、テニス部に在籍して中学を終わってしまったのでした。

そう云う意味で、「エースをねらえ」にまったく罪はないのですが。
私のサッカー人生を大きく変えたともいって良いあの漫画が。
実写番で放送されるなんて、なにか古傷が疼くなあ。

高校3年の時の体育と大学での体育の授業でサッカーを取っただけで。
実際にサッカーをプレーすることは2度となかった。
ボーンサッカーマンだったのになあ。
サッカーボールと触れ合わなくなったときのきっかけという事で、ありました。

今、小学生だったらなあと。

その想いを切実に感じてしまうのが、今日の本題です。
今,サッカーに夢中な小学生が身近にいるからです。
昨年の11月18日の札幌ドームでの山形戦、ゴール裏に。
御家族3人を招待したのですが。父親、母親、小学4年生。
その息子さんは少年団でGK。
身体が大きいのでとりあえず、それほど熱心ではなかったらしいのですが。

たまたま、あの試合は1年に1回あるかないかの奇跡的な4対1の圧勝。
そのゲームを見て、点を取ることの楽しさに目覚めて。
フットサルの少年団でFWに転向した模様。

そして、ハットトリックを決めたらしい。
そして、その地区の強豪チームとの闘いでは何も出来ず0対5で惨敗。
父親の前では,ぐっと我慢して、自分の部屋で悔し涙を流したらしい。

それからは。チームのコーチの言葉は絶対で練習の送り迎えに。
父親も大変だとこぼしていますが。

今度、その試合を見に行こうと思っていますが。
我がコンサドーレの試合で、ある小学生がサッカーに夢中になったというお話で。

見に行った試合がよかったなあと。
札幌が惨敗になって、荒んだゴール裏を体験したら、又違ったのかなあとも。
これも、運というか才能ですね。

で、今年のコンサドーレの試合を見に行きたいかと。
父親が尋ねたら、それほど乗り気でもない様子。
やはり、子供は強いものが好きなようですね。